天正の陣後の金子元宅の妻子と一族

天正の陣当時(1585年)金子元宅の子らの年齢は、

かね姫(16歳)・専太郎(13歳)・毘沙寿丸(11歳)・鍋千代丸(8歳)・新発智丸(5歳)

 

天正7年に土佐の人質となった専太郎の他は、金子城に籠城していたと思われる。

一族郎党生き残った土佐の援軍も含め土佐の長曾我部元親のもとへ落ち延びた。

 

(考察)

かね姫の伝説にある衣笠山(衣笠塚)の位置、

そして、家老 伊藤嘉右衛門家定も共に逃れ、須領に住み着いたことからも、

一行が落ちた道程は、荒川山からの桑瀬越えではなく、

金子城→衣笠山→大谷→戸屋ノ鼻→深谷寺奥之山→辻ヶ峰へと落ちたのであろう。